私は中学校2年生の時に、高校教師をしていた父親を病気で亡くしています。当時は漠然と、父の背中を追って教師になるものだと思っていました。ですが大学在学中、大工や塗装業の職人になった友だちが生き生きと仕事をしている姿を見て「職人ってかっこいい!」と思ったんです。子どもの頃、父親の仕事の関係で自然豊かな伊豆大島に住んでいたことも影響し、生き物と触れ合うことのできる造園業をしようと決意しました。
「いつかは独立する」と決め、最初はアルバイトから始めてみたのですが、簡単にできそうなほうきがけさえうまくできなかったんです。その悔しさをバネに知識を学び、経験を重ねていきました。知り合いから「一度大きな造園会社で学ばせてもらった方がいい」と勧められ、22歳から34歳まで守谷の造園会社で修業。そして12年前に念願の独立を果たしたのです。
私が造園業を始めた頃は、まだバブル時代。和風庭園造りなど、豪華な造園を希望されるお客様がたくさんいました。しかし、時代の変化に伴い「庭を造る」ことから「管理する」ことに切り替わっていったのです。家も洋風の造りが多くなってきたので、イングリッシュガーデンのような、洋風な庭造りも対応できるようにしています。
小学生の時から取手で暮らしているので、今後はお世話になった地元に密着した造園屋になりたいです。「地元の造園屋といえば野島造園!」といわれるように頑張っていきたいです。
「継続は力なり」
これは亡くなった父親が言っていた言葉です。良きにつけ悪しきにつけ、結果は後から付いてくるものだから、絶対に決めたことは諦めたらいけないと教えられました。私が今日まで事業を継続できたのも、この言葉あってのことだと思います。